作曲入門の2回目は、作曲を始めるための準備として、創作の基本的な考え方や、必要な道具などについて考えていきます。
『思考の整理学』
『思考の整理学』とは、外山滋比古さんが1983年に刊行した本のタイトルです。最近、甲子園で活躍し、現中日ドラゴンズの根尾昂選手が愛読書としてあげていて、再びベストセラーになりました。どういう内容かというと、アイデアの生み出し方、発展のさせかたについて、今でも通用する新しい考え方をしめしたものです。本のなかから1節を引用すると、
「ことと次第によっては、一晩では、短かすぎる場合がある。大きな問題なら、むしろ、長い間、寝かせておかないと、解決に至らない。考え出して、すぐ答の出るようなものは、たいした問題ではないのである。本当の大問題は、長い間、心の中であたためておかないと、形をなさない。(p39)」
こうしてみると、前回書いた「インスピレイション」や潜在意識と考え方が似ていることがわかると思います。最近になって、脳科学の分野で言われ始めたことが、こんなに昔に書かれていたことは脅威でもあります。この本のすごいところは、こうした創作の理念だけでなく、実際にどうすればいいかといった手順を詳しく書いているところです。それでは、次にこの「思考の整理学」を作曲にあてはめて考えていきます。
作曲における『思考の整理学』
『思考の整理学』のなかには、創作の手順について詳しく書いてある箇所があります。非常に乱暴にいうと、「ノートを三段階に使って、時間をかけて作っていく」と言うことなんですが、それを作曲にあてはめると、
- アイデアメモ(思いついたフレーズ)
- アイデアの展開(数小節のパートを形にする)
- アイデアをまとめる(ワンコーラスの完成)
①の「アイデアメモ」については、浮かんできたフレーズを、どうにかして、また思い出せるような形にしていく必要があります。たとえば、ICレコーダーをいつも持ち歩いていて、アイデアが浮かんだら、忘れないうちに、録音しておくというようなことです。録音状態が悪いと、なんのことかわからない可能性もあるので、録音するときに、片手でICレコーダーを口に近づけて歌い、あいている方の手でズボンをたたいて基本的なタイムを示してやると、思い出しやすくなります。
②の「アイデアの展開」については、①で記録したフレーズをもとに、8小節程度の、「Aメロ」とか「サビ」と呼ばれているような短い形にしていきます。ここで、コードをつけながら、8小節程度のたとえば「サビ」だけを形にします。①と②のあいだは、同じ日、同じ時間に続けて取り組むことも、考えられますが、①のアイデアを思いつくだけで、頭には相当な負荷がかかった状態なので、続けて取り組まなくてもよいと思います。翌日か、数日あけてから、形にするほうが、潜在意識の力も借りて、らくに形になると思います。
③の「アイデアをまとめる」は、②を作ったあと、翌日か数日あけて取り組んだほうがいいようです。②の段階で曲の一部ができているので、ここでは例として、「サビ」だけができていると仮定して、つぎに「サビ」につながるまでの「Aメロ」の部分を、考えていきます。「Aメロ」だけでは「サビ」にうまくつながらないときは、さらに「Bメロ」とか「ブリッジ」とかをあいだに挟んで、「ワンコーラス」を作りきってしまいます。この③の段階が①、②と比較して、仕事の量が格段に多いのですが、①,②で曲のかんじができているので、思ったよりも③は時間がかからなくてすむことが多いです。たぶん、潜在意識が手助けをして、曲の完成形を、無意識に作っているのかもしれません。
紙と鉛筆作曲法
作曲家が、直接五線譜にむかって書き込み、作曲をしている姿をテレビなどで見たことがあるかと思います。この場合、必要なものは、「五線譜、鉛筆、消しゴム」だけです。うらやましいかぎりですが、このやり方の前提として、作曲者が、絶対音感、または、相対音感をもっていること、もうひとつが、インスピレイションによって曲の全体像が浮かんでいること。このふたつの条件があって初めて、なりたつ技法だと思います。けれども、私のように音感に恵まれずに作曲をしているものにとっては、いくつかの、ツッコミどころというか、疑問点がでてきます。あげてみると、
- インスピレイションによって、必ずしも、丸ごと1曲浮かぶわけではないので、その場合は楽器を使って続きを考えたほうが楽ではないか。
- 曲によっては高度なテンションノートを必要とするが、その音は楽器で確認しながらでないと難しいのではないか。
といった、疑問があります。時間もないので、答えを簡単にまとめてしまうと、「紙と鉛筆作曲法は、インスピレイションに恵まれた作曲家が、あまり検証を必要としない単純な曲を書く場合において有効である」ということになります。最近の朝ドラ「エール」は、作曲家、古関裕士さんをモデルにしたものでしたが、ドラマの中でたしかに「紙と鉛筆作曲法」をしていました。古関裕士さんは、コンテストで、ストラビンスキーやラベルに認められたほどの才能の持ち主ですから、一般向けの歌謡曲を書くときは、紙と鉛筆で十分だったのかもしれません。
ラジカセ作曲法
「紙と鉛筆作曲法」は、絶対音感とあふれるインスピレイションによって可能ですが、誰でも音感やインスピレイションに恵まれているわけではありません。そこで、われわれ凡人は、道具を使う必要がでてきます。一昔前に、カセットテープが出てきたときに、素人の作曲家が多数、世にでてきました。彼らは、音感がないばかりか、譜面も書けないので、それを救ったのが、カセットテープに自分の歌を録音することだったのです。彼らの作曲法は、ラジカセとギターとノートを用意して、思いついたフレーズを忘れないうちにラジカセに録音し、それを聞きながらギターでコードをつけて、それをノートにコードネームで書くということを、ひたすら繰り返しながら1曲を完成させました。いま考えると非常に非効率なやりかたですが、以前はこの方法で多くの名曲が生み出されました。そのとき、彼らの乏しい才能を救ったのが、カセットテープに録音することだったのです。
この「カセット作曲法」ですが、作曲すると言う点でかんがえると、はなはだ非効率な方法ですが、いまでも立派に通用する利点がひとつ残っています。それがなにかというと、インスピレイションが浮かんだときに、アイデアメモとしてすぐに記録できるということです。いまでは、ICレコーダーやMP3プレーヤーなどに置き換わっていると思いますが、アイデアメモとしての機能は互角なので今でも使っている人も多いと思います。
パソコン作曲法
やっと現代の作曲法に踏み込むことができます。これは簡単にいうと、「ラジカセ作曲法」でカセットテープを使っていたところをそのままパソコンに置き換えたものと言えると思います。カセットテープ録音とPC録音の違いは多いと思いますが、作曲において重要な違いは、PCは編集ができるということだと思います。カセットに対するPCの利点を思いつくままにあげると、
- コピーペーストによって複製できる。
- 部分的に修正できる。
- 削除していらない部分をつめる事ができる。
- 構成を入れ替えられる。
- 後から、あいだにパートを加えられる。
まだあると思いますが、つまりは、小説を書くときの、原稿用紙とワープロの違いが、カセットとPCの間で起こっていると考えていいと思います。カセットテープの時代には、まき戻さなければ、聞き返すことすら出来なかったことを考えると、PCでどれほど便利になったかがわかると思います。
しかし、PCで作曲法がとても楽になったので、曲の質がよくなったかというと、そうとは言い切れないと思います。たとえば、文学を考えてみても、昔の作家は、原稿用紙に書くしかなかったのに、多くの文豪がいて、多くの名作があります。現在、ワープロを使っている作家が、昔の作家より、数段よい小説をかいているかというと、そうではなく、むしろ逆のような気がします。音楽においても、環境に恵まれず、ラジカセと格闘して生み出された昔の曲のよさに、はっとすることがあります。こんなことをいうと「PC駄目ジャン」ということになってしまいますが、長年PCで作曲をしてきて、気付いたことのひとつは、PCの作曲になれてある程度使えるようになると、PCでもいい曲がかけるようになる、ラジカセ時代の曲も超えることができると思っています。つまり、PCにある程度なれるということが思ったよりも重要なことで、これができれば、作曲がらくになっていくのではないかと思っています。
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